徳山工業高専の殺人は必然か
2006-09-07


ついこの間までいっしょに研究をしていた同じ部屋の中で、しかも相手は女子学生だったのに、殺さなければならないほどに進んでしまった、そんな心情はどこにあったのでしょうか。今日、自殺体として発見された、表面的には加害者の男子学生は、すぐ死を選んだことから鑑みて、昨今の若者の殺人とは異なると思われるわけです。

理由ある、と述べると語弊がありますが、確かな扼殺への道筋は確かな原因に基づいたのだと推察されます。配属された当初から、いえ、それ以前からのつのった恨みの限界を超えさせた一言が女子学生から発せられたのかもしれませんし、それだけは許せない、そんな一言があったのかもしれません。ただ、殺人という行為は事後、彼自身、許せなかったことは確かです。それがまた、このごろの、結果としてではあれ、死に至った事例でもまだ生きている加害少年や少女たちの現実に現れています。

誰しも(私も)、一度ならず、そういったやむにやまれぬ思いにとらわれたことがあると思うのです。それが、TPOの揃った状況でそれ以外、考えられなくなってしまう、そんな現実を夢ではなく、見えたことはないでしょうか。ましてや、恨みは時が経てば経つほど、つのるものです。深く、刻み込まれるものです。今回の事件は、そういった意味から、結果的に、必然性があったのかもしれない、と感じたわけです。
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