どちらに罪があるのか
2008-03-12


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このところの事件や不祥事には責任回避や責任転嫁が目立ちます。自衛隊のイージス艦の事故、新銀行東京の危機、中国餃子事件、など数え上げればキリがありません。問題なのは、実行者・直接の従事者が悪いのか、それとも監督責任や計画立案者、あるいは本来訴追すべき立場の者たちが悪いのか、ということです。

自衛隊・防衛省の対応は航行時も含め、ひどいものでした。いまだ、なすり合いの姿勢が消えていません。東京都の対応も、元々の言い出しっぺが全く責任を取ろうとはしていません。テレビで議会のやりとりをみましたが、知事以下、よくこれで、と思わせるところです。中国はことさら、責められるべきでしょう。世界に向けて、堂々と虚偽の「事実」を声高にし、日本に原因があるかのような言いようです。嘘で固めた発表を国内向けには完全に信じ込ませているのです。本当に、信じられない。

環境を破壊する行為、景観を台無しにする作為もまた、同じです。工事をする者、した者、余計な看板を立てた者、邪魔な建造物や醜い物体をおいた者、確かに彼らは第一義的に罪を負うべきでしょう。でも、その計画者、立案者、あるいは要求した者たち、そういった彼らがいなければ実行行為はなかったはずです。同じ以上に、重い罪を背負うべきです。その一例はオウム真理教の事件でしょう(麻原彰晃=松本智津夫の罪は一番重い)。

一番の問題は、そういった事実とその関係や全容を明白に知らしめられていないことです。前者の事件・事故しかり、各地での環境破壊しかり、です。そして、そういったひとつひとつを一般の人たちがよく知ろうとしなかったり疑問や反発を抱かなかったりする現実こそ、さらに重大で今すぐに改めなければならない問題なのです。

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