寒さの中の冷たさとひどさ
2013-11-28


禺画像]
勤めながらつとに思うのです。小中学校だけでなく、高等学校でもいわゆる、「道徳」に関する時間をカリキュラムに組み込むべきだ、と。もちろん、倫理は科目としてありますが、選択で、全員ではありません。わたしの高校時代は実質的に必修でした。いまでもその当時の教師のことばもいくらかを思い起こすことができます。今の生徒達を見るにつけ、『自由と規律』だけではない、もっと基本的な、根源的な命題に思考する時間をもつことは大学入試以前い必然だ、と感じるのです。

見かけの「友人」や「教師」、あるいは、他者に対する態度や接し方、ことばの暴力や精神的な未熟さと弱さからくる恐ろしいほどの無感覚を直に受け取るとき、彼らに本当に必要なのは数学の問題演習ではなく、ごくごく基本的で社会の成り立つ最も基本的なところに求めるべき人の道、とでも言うべきものだと実感させられます。とりわけ近年、日本社会の劣化が叫ばれて久しいですが、いっこうに良くはなりません。むしろ、その精神性や真の意味での「社会性」は低下の一途を辿っている、と分かります。

そして、教師もまた、そういった側面を露わにしていますし、周囲のおとなたちもまた、同罪です。そんな地域社会、いえ、社会全体にどこか受け容れられない非人間性を見いだしてしまうのです。これは、平然と道理や人間としての歩むべき道、あたりまえに身につけるべきところの倫理観やごく簡単で人間的な「神経」さえ否定している現実をさらけ出している姿なのです。背筋が凍り付くような、恐ろしい風潮です。ぞっとするような、耳目を疑う姿です。直ぐに、改めさせ、直すべきことばかりです。どんな「理由」も「言い訳」もはねつけるべきことばかりです。
[人]
[意]
[道]
[社会]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット