置き去りにしたもの
2013-12-20


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きのう、きょうと空は晴れて、洗濯物は良く乾き、日本海側としては意外なほどの好天でした。夕刻、雨になりましたが、いつもながら、気象庁の情報の不確かさには手を合わせたくなります。それにしても、経済、経済、経済。アベノミクスとかいっても、要はあっちを向いているわけで、復興特別法人税は「前倒し」で廃止、オリンピック・パラリンピックのための人事と対策、見かけは非正規の解消でも「多様な」正規従業員の増加を狙うという、購買層の確保、等々、とにかくお金のために向いている方向は違っています。

他方、誰もが訝しく気づいていてなんだ、と考えるこの方策のために、福島の人々はもはや戻れずに、他所での生活支援・賠償、年金や公務員給与の減額、教育の時間増による実質的な予算削減、少子化はもう既成事実としてその対策は上滑り、一方での特定秘密保護法、防衛費や防衛整備のための支出増加、いったい、どこに目をむけているのでしょうか。置き去りにしていくものは人々だけでなく、その命の代償として手に入れた民主々義や平和憲法や社会の豊かさ、子供達の歓声、老後の楽しみ、命を育み社会を維持するための基盤、すべて失われていきます。

目を向けるべきものから目をそらし、削るべきものは反対に増やし、残すべきものは破壊し、守るべきものを捨て去る、そんな社会の衰退と崩壊に向かうようなことばかりを私たちに突きつけているようです。いえ、はっきりと押しつけています。悲しい真実ばかりが見えてくるのです。
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