改修も小さくとも、破壊です。わずかな環境さえも保全しないしほとんど意味のない改修という名の破壊を続けて平気なのです。小川もたとえ三面張りであったとしても、開放されていれば水際や水面との空気や土との接触や行き来があります。そう、そこに生物をも含めた自然の動的な平衡が成り立つのです。川底にわずかな土などが堆積し、そこをすみかとする生き物がでてくるのです。その上の壁面には植物を中心としたミクロな生態系も育ち、このあたりを循環する環境が成立します。二次的、三次的ではあっても、それなりに生物環境を保全することに大きく寄与します。
およそ、こういった愚行が目立ちすぎます。こんな田舎でさえこうなのです。愚かとしか言いようがありません。何のために、誰のために、なぜ平然と、当然のようにこんな破壊行為ができたのでしょうか。ありすぎる土建屋などの存続対策でしょうか。望む者も発注する者も、工事に当たる者も、そして、それに異を唱えない者もまた、同罪です。そうして結局は自分たち自身の首を絞めることにつながることを認識できないのです。あきれ果ててしまいます。こういった行為がいかにひどいことなのか、子供でも今なら理解できるでしょう。大人たちの啓蒙こそ、必要なのです。
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